尾形力丸に関するメモ
明治の講談速記本に『豪傑緒方力丸弘行』がある。「緒方力丸弘行 字 自来也」とある。
豪傑緒方力丸弘行 - 国立国会図書館デジタルコレクション(講談速記本)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/889973/5
児雷也(自来也)の本名は『自来也説話』では尾形周馬寛行、『児雷也豪傑譚』では尾形周馬弘行。字は違うけど「おがた」。
尾形力丸で検索するといくつか画像が出てくる。
「忍術を使う尾形力丸」と紹介されているこの絵、児雷也っぽいと感じるけれども、なぜ「周防」(山口県)なのか気になった。
H04すっぽん(花道の迫り) - もっと知りたい! 歌舞伎の世界
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/vm/kabuki2015/2015/11/post-45.html
Google様のお告げによれば、尾形力丸は「日本第一和布刈神事」と「けいせい廓苧環」という(歌舞伎)作品に登場するらしい。
〇「日本第一和布刈神事」について
「日本第一和布刈神事」が曲者で、検索するとまったく違う作品が出てくる。
源平合戦の時代の関東が舞台。尾形力丸は出てこない。
日本第一和布刈神事. 巻之第1-7 / 並木正三 作 ; 暁鐘成 校合并画(絵入根本)
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he08/he08_04337/index.html
「錦帯橋」「大内義興」「菊浪検校 実ハ尾形力丸」などが読める。錦帯橋は山口県にある橋
日本第一和布苅神事. [2] - 国立国会図書館デジタルコレクション(演劇台帳)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2560308/5
この事情については以下の論文で説明されている。
青木繁「文化期の大坂劇壇」(『日本演劇学会紀要』25巻)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjstr/25/0/25_45/_article/-char/ja
・「日本第一和布刈神事」は「けいせい廓苧環」の増補である
・中芝居では新しいタイトルが付けられないので、「けいせい廓苧環」を元にした作品に既存の「日本第一和布刈神事」と題を付けた
・増補後、「けいせい廓苧環」という題でも上演された
・文化8年(1811年)に増補
ということが分かる。「日本第一和布刈神事」のあらすじも紹介されている。
ちんこ役者はちんこ芝居(格の低い劇場で演じる小芝居をいう大坂の呼称)の役者の意味。調べたw
〇「けいせい廓苧環」について
一番下のコマ。「尾形の亡霊 力丸を呼とめ術をさづける」「力丸がまのじゅつをさづかり むほんうけつぐ」ほかに大内義興(よし興)の名前も見える
けいせい廓苧環 : 角の芝居 - 国立国会図書館デジタルコレクション(絵本番附)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541953/2
一番上、右から2つ目のコマの女性の左隣は「さとひめ 力丸をしたひ おちゆく」と読める。男が力丸で女がさとひめ。
けいせい廓苧環 : 角の芝居 - 国立国会図書館デジタルコレクション(絵本番附)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541953/3
『歌舞伎台帳集成22』勉誠社で翻刻されている「けいせい廓苧環」は、「尾形力丸」は出てくるが、山口県が舞台ではなく「さとひめ」も出てこない(が、口絵に「大内さと姫」が使われている)。「児雷也」の名前も出てこず、蝦蟇の妖術(呪詛)は力丸の家臣が使う。
「児雷也」の名がないのは当然のことで、「けいせい廓苧環」の初演は明和6年(1769年)、「自来也説話」の刊行は文化3年(1806年)。文化8年(1811年)に増補で、大幅に変わった可能性がある。
尾形力丸は尾形三郎(緒方惟義)の説話に影響を受けていて、蛇の子孫である。「廓苧環」の題もこの挿話から。緒方惟義の話は『新日本古典文学大系』平家物語(下)巻八、緒環で確認できる。
○おまけ
この英語のページ、「けいせい廓苧環」の「尾形力丸」の絵だと紹介されているが、画像に言葉がないので不詳。尾形力丸=自来也と紹介されている。
subdue two giant frogs(蛙を討伐)…蛙は味方のはずでは??
Viewing Japanese Prints Sekkotei Hokumyo (雪江亭北妙)
https://www.viewingjapaneseprints.net/texts/ukiyoe/hokumyo_sekkotei.html
山口県が舞台なら「きっかわたてわき」が正しいと思うけど根拠がない。
「吉川帯刀(よしかわたてわき)」 「浅尾額十郎(あさおがくじゅうろう)(初代浅尾額十郎の吉川帯刀)」 - Cultural Japan (カルチュラル・ジャパン)
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下記に、最近、記入しましたが、管理人さんのコメントが無いので、ここに再度、記入致します。
鉄人28号VS鉄腕アトム展
http://realize.txt-nifty.com/blog/2005/12/28vs_b4ff.html
この記事で、実写アトムの軍服姿について、以前、説明しましたが、その後、他のブログで当時の雑誌「少年」に載った、軍服を着用し、部下の隊員と敬礼するアトムの写真を見つけました。
アトムのコスチュームの変遷についても紹介されています。
月刊「少年」のテレビニュース
http://hayashiharuto.blog.jp/archives/74115856.html
口頭で説明しても判らない瀬川雅人少年の演じた火星探検隊長が、これで良くわかると思います。
DVDには、このシーンは無いので、雑誌「少年」が取材し、撮った写真と思われます。
ヘルメットをかぶり、短い飾緒のついたダブルの軍服の下は、つなぎのパンツ部、タイツ、ブーツと言う組合せが理解できると思います。
また、瀬川少年の隊長としての決意を感じさせる凛々しい表情と、何となくセクシーな感じも理解できると思います。
脚が長くふっくらとした感じの瀬川少年に、このアトムの衣装は良く似合っていたと思います。
脚が短くても、また、やせていても似合わなかったでしょう。
この写真では、アトムと隊員が斜め向かいで敬礼しあっているようにし、学生服のような隊員と比較できるようにし、アトム少佐のかっこよさ、脚の長さがよく判るようにしていたと思われます。
アトムの軍服には飾緒がついているので、隊長として大人の部下を統率すると言う決意が感じられるようになっています。
私は、実写アトムの写真はネットで沢山見れるようになりましたが、これがベストのショットだと思います。
流石に、雑誌「少年」が、瀬川アトムの火星探検隊長を紹介するために撮った写真だと思います。
この号と前の号(新年号)に載ったアトムの写真は、テレビのフイルムの一部ではなく、「少年」が特別に撮っています。新年号は特別に手塚先生との合成写真にしていました。この号は、普通なら、テレビフィルムから取ってくるのでしょうが、火星探検隊長になり、軍服を着たので、隊長の格好良さを紹介するために、特別に取材し撮影したのでしょう。瀬川少年も、雑誌に敬礼する全身像の写真が紹介されると意識しながら敬礼されていた感じに思えます。
なお、敬礼するアトム少佐の隣に、鉄人28号で、金田正太郎になる内藤正一さんの写真も載っています。
アトムも鉄人も同じ松崎プロダクションで、撮影スタジオも同じビルのようだったので、内藤少年は、瀬川雅人さんに会う機会も有ったと思われます。半ズボンに、ブレザーの金田正太郎も、格好良かったですが、内藤正一さんも、火星探検隊長のアトムのコスチュームを着たいと思ったらしいと言う当時の噂が有ります。
また、演出として、隊員となったキャーペット(女性)は、アトムよりお姉さんですが、アトムに好意を寄せていると言うか、アトム隊長を素敵と思っているような感じの演出にし、暗に、アトムの格好良さを表現していたと思います。
ズボンを穿かないので、軍服の丈はベルトの上までと非常に短くして、下半身とバランスを取っています。普通、このように短いジャケットは、レディースでしか見ませんね。
タイツ、レオタードのようなつなぎ、ブーツも、普通は女性のファッションです。
凛々しいアトム少佐になっていると思いますが、セクシーな感じがするのは、このような衣装だったからと思われます。
瀬川雅人さんも、このコスチュームを気に入ってきていたももの、後年、テレビのバラエティ番組のインタビューに答え、「あのコスチュームは恥かしかった。」と語っていたそうです。小6なら、恥かしいのも判ります。
管理人さんの御印象は、如何でしょうか?
私や同級生が、瀬川雅人さんの演じる火星探検隊長のアトムのファンだったのが、多少なりとも、理解頂けたでしょうか。
投稿: | 2022/01/03 12:01