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2009/11/03

「奇岩城」翻訳放談(5)

※以下の文章は「奇岩城(4)」の内容に触れています。※


タイトルどおり。


「奇岩城」はルパンシリーズの中でも翻訳が多い作品だが私はどれも不満がある。なぜそうなのかというと、たぶん理由は大きく2つある。

1つ目。底本となっているテキストが複数あり、それぞれ異同があること。原作テキストは、長版と短縮版と言おうか、大きくは2つに大別できるようだ。前者の省略が殆どないテキストの翻訳が偕成社アルセーヌ=ルパン全集、ハヤカワ文庫、岩波少年文庫、後者の翻訳が創元推理文庫、新潮文庫、集英社文庫だ。どちらが正しいと一慨には言えないが、私は前者のほうが作者の意図に近いと思う。前者のほうが初出に近いことや、私がキーワードと考えているものが短縮版では一部省略されていることなどが理由だ。

ボートルレがある少女を詰問するシーンで、長版では父親を退席させるが、短縮版では父親の前で行う。これだけでも私は長版のほうが安心して読める。


2つ目。私とは解釈が違うのだろうと思う。解釈が違うと思ったのは、ショルメスのシーン。偕成社アルセーヌ=ルパン全集とハヤカワ文庫はどちらも文章を補っているが、私とは解釈がことなるので余計な改変にみえてしまう。そんなこんなで私は現状では岩波少年文庫版が良いと思う。訳の省略があったり誤訳があったりするのは否め無いのだけど(これは他の翻訳もそうか)。


解釈が違うというが、じゃあ私はどう考えているのかというと、「奇岩城」全体の解釈としては、ボートルレの行動はルパンの手の内にあり、ボートルレはルパンに導かれて行動しているということだ。(なお、ショルメスは計画の埒外にある。)

ルパンがボートルレ相手に苦慮している? とんでもない! むしろ、「わたし」の家でボートルレが刃向かう姿勢を見せたとき、心中で快哉の声をあげたと思う。そうこなくてはと。
って、正面切って言えればいいんだけどね。
だってそうだよね?と問うて見ても、そうだよと答えてくれないのである(つれない)。違うよという答えもないので、好きに考えることができるのだけど。


そしてあまりおおっぴらに書きたく無いけれど、「奇岩城」はルパンが悪党でないと駄目だと思う。たとえば、ヴェリーヌ男爵の館で裏切り者の金は穢れるといって紙幣を破るのは脅しだと思う。このシーンでは館の住人だけではなく、ボートルレの口も封じた。ボートルレは母親に無理強いすることができない。家庭の事情を知っているから。最初から切り札にするつもりで家庭の事情を知らせておいたと考えることができる。本を閲覧するために出向いているのに、家庭の事情が出てくるのはあり得なくもないが至極当然のこととは思わない。他人の気持ちなどどうでもよい男だ。こういうところは受け入れられなくてもいいけれど。

ではレギーユ・クルーズの発見を妨害したのかというとそうではなく、反対に導きたかった。ヴェリーヌの館で暗号を解いてしまえば、ボートルレはレギーユ・クルーズの価値を知ることはなかった。ルパンは謎を利用してボートルレを導いた。謎の発端となった紙切れはわざと置いていったものだ(紙切れは一度使ったら不要で持ち歩く必要がない。ボートルレだって紙切れなしで到達している)。ルパンにとって謎は利用するもの。思えば第1話から謎を利用している。第1話「アルセーヌ・ルパンの逮捕(1-1)」と「奇岩城(4)」の構造は似ていると言える。


※以上の文章は「奇岩城(4)」の内容に触れています。※

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