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2009/10/09

「奇岩城」翻訳放談(3)

※以下の文章は「奇岩城(4)」の内容に触れています。※


タイトルどおり。


講談社版は前半最大の謎であり、すべての始まりでもある「消えた犯人」が成立していない。撃たれた犯人が屋敷内から出ていないと言える状況にない。犯人捜索に出むいた人物が全員邸内に戻り、その後で捜索を再開するからだ。その間修道院の廃墟を守り固める人物もいなければ、バルコニーに見張りもいない。くぐり戸に鍵がかかっている(外へ逃げられない)かどうかも不明瞭だ。これには本当にあきれた。何がしたいんだ。目撃されたほかの仲間が逃げ去ったという情報もない。仲間が逃げ、残りの一人が残存していると分かるのは脅迫状があるからだ。

《親分は、いずれいただきにいく。もし死ぬようなことがあったら、ただではすまんぞ》(P31)

親分は緊急避難として残ったのに、わざわさ情報を教えて親分を不利な状況に追い込むとは。この文面も原作とはまったく違っている。

<親分を殺したら、令嬢にわざわいがおよぶぞ>(岩波少年文庫P32)

令嬢を名指ししたことが与えた影響については、ボートルレが発表した記事の通りで、重要なポイントだ。また、犯人側が令嬢(demoiselle)という言葉を使っていたからこそ、暗号紙片の令嬢たちをジェーヴル伯爵家の2人の令嬢と思ってしまった。そこにもつながるのだ。


他にも、強盗一味の行動について重要な情報が欠けている。

翌朝十時、フィユル予審判事は所轄のウビル・ラ・リビエル警察の要請を受け、ディエップから書記のブレドゥ、検事局のブリエ検事と一緒に車に乗って、アンブリュメジー館へ出向いた。
もう一台の車には、新聞記者と称する若い男がふたり、乗っていた(P20)

朝の六時に、ウーヴィル=ラ=リヴィエールの町の地方警察署は報告を受け、犯行状況、主犯がまもなく逮捕される見こみであること、<犯人の帽子および犯行に使用せる短刀の発見>などを記載したメモをディエップの検事局に至急送ってから、現場に向かった。十時に、城館に通じているゆるやかな坂を、二台の自動車がおりてきた。一台は古い型のオープンカーで、検事代理、書記をともなった予審判事がのっていた。もう一台はお粗末な小型車で、これにはふたりの新聞記者がのりこんでいた。(岩波少年文庫P18)

講談社版は「翌朝」になっている。原作では事件発生時刻は朝4時、講談社版は事件を昨夜の話(時刻不明)としている。したがって70キロメートルほどの道のりを“夜中から夜明けにかけてフルスピードで”ちんたら走っていることになる(講談社版では目撃された車と犯行一味の車とは無関係らしい)。また、講談社版は遺留品のすり替えについて無頓着だ。すり替え用の帽子を誰が買う(買わせる)ことができたか、ボートルレは後て嫌と言うほど思い知らされることになるのだが。(重箱の隅だが「もう一台の車には」を添削したくなる。2台あると分かっていればなんでもない表現だけど)


講談社版は小道具も時代錯誤だ。通信手段が電話主体になっていたり、犯人の手下が成りすました運転手が残していくのが「制帽」だったり、シャトールー追跡のヒントが「居酒屋のマッチ」だったりというあたりは昭和ベースなんだろうと思う。店名入りの広告マッチって昭和生まれの私ですらぴんとこないアイテムなのに。

ボズフィ氏は、チックで固めた髪を両手でそっと押さえ、にっと笑った。(講談社文庫P164)

「チック」って何(整髪料らしい)。わざとらしく古臭い言葉が使われているのもどうかと思う。

フランス(ベル・エポック)のつもりで書いているのであろう服装も変だ。三つ揃いが正装だったらフロックコートはどうなるのだ。またラスト、あの場所でフロックコートを着ているのはおかしいと思う。最初に読んだときフロックコートを知らなかったのだけど、読者は知っていて当然のものとして書いたのだろうか。いくら用語解説(ハードカバー版に付録)が付くとは言え、読者にどういう服装か伝わるように書くべきなのでは。その用語解説にしても山高帽の絵がシルクハットという心許ないものだっりするけど。

また、フィユールは地方の予審判事なのに、管轄外の場所で名刺が絶大な効力を発揮したり捜査に参加するというのは考えにくい。他国の司法の組織は分かりにくいものだけど日本にだって管轄の壁はあるのに。原作と読者の常識との差を埋めるのではなくさらに非常識のほうに傾けていると感じる箇所が多い。捻じ曲げて書くなら外国の作品を選ばなければいいのに。


原作と違うから即ダメと思っているわけではない。たとえば「ガリバー旅行記」は絵本の定番になっているけれど、本来原作はきつい風刺が混じっていて子供が読むようは本ではない。それもよく採用されるのは大人の国、小人の国という発想が面白いからだろう。何をどうしたいかが明確だったら、大人向けの本でも子供向けの本に転身を遂げられるのに。

だから企画が明確ならよかったけど不明確なのだ。原作を子供向けに紹介しようというのか、原作を種として改作者に別の作品を書いてもらおうということなのか。どのみち改作者はあまり児童書に向いていないのではないかと思う。とくに講談社版ボートルレが飲酒をしていると知って呆れた。他の箇所はともかく、飲酒シーンは機械的にチェックを入れられるだろうにどうして企画側はチェックを入れなかったのか。17歳の飲酒は是だというのだろうか。安易な企画のしわ寄せが改作者にいってしまったのに企画側はいろいろと無責任だ。

作品の不出来のみなら無視もできるが、原作への暴言がまた許しがたい。曰く推理小説としてはずさん、心理描写もおざなり、論理性に欠ける等。自分の読解度は考慮にないらしい。原作へのきつい発言があるからこちらも多少見方がきつくなるのはあるけど、講談社版は作品単独でもNGだと思う。


またちょっと重箱の隅。

ぼくは少し考え、《44》という数字に注目した。階段の数は四十五段だが、数字はそれより一つ少ない。
「みなさん、階段を少しあともどりして、下から二番目の段をあけてください」
捜索隊の人びとは、いわれたとおりにした。
「警部さん、その段の上に立ってみてくれませんか」
(略)
「下から二番目は、上から数えると四十四段目に当たります。暗号文の《44》は、きっとそれを意味してるんだと思います」(P269)

「そうだ……ぼくらはふたりとも、階段の最後の段の上にいるんだ……段は四十五ある……(略)。ガニマールさん、一段上がってくれませんか……それでいいです。そのまま四十四段めから動かないでください。(略)」(岩波少年文庫P329)

表現すべきは「45-1=44」なのに講談社版は「44+2=46」だ(上から45段目は下からだと基準となる段・0段目だと思うのだけど…)。変な感じがするのは「その段」もだ。指示代名詞を使わなくてもいいと思う。


講談社版は原作のゆかしさを理解していないと思われる箇所がいくつかあるが、その1つがエギーユの城館でヒロインを迎えにいくのが若い男というところだ。私は原作の、役目を父が引き受けたと書くあたりが好きなのだ。夜中に若い娘さんの寝室へ迎えに行くのに、既婚で初老の男と未婚の若い男と年頃の少年とがいれば、若い2人は入室が躊躇われて当然だと思う(3人とも紳士であることが大前提として)。顔見知りのボートルレ親子を差し置いてずかずか入っていくのはありえない。(若い娘が囚われていると知って抛っておくような親子ではないと判断したから同じ城に閉じ込めたのだろう)


※以上の文章は「奇岩城(4)」の内容に触れています。※

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