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2009/02/16

エミール・ガボリオ「ルルージュ事件」

太田浩一訳、国書刊行会、2008年

読んでて思ったのは、惚れただのはれただのまったくフランス人ときたら…。まったくお貴族様ってやつは…(何をやさぐれてるんだか)。でも、おおむねこんな感じ。やっぱり最後もこうだった。

タバレの推理によって事件解決かと見えたものが、人物像のずれによって、間違いだと気づく(そこからが長い)。人物の説明のためにセリフの都度説明が挟まれるのがまどろっこしかったけど、そこをすぎれば読みやすかった。犯人も動機も途中で分かる。結局地道な捜査が実を結ぶというところか。

中心となって描かれる人物が場面によって変わるあたりやはり新聞小説なのかと思う。この形式は、誰かが私は犯人ではない、私が犯人だと思ってしまったら終わりなのではないかと思ってみたり。それをクリアするのが手紙形式だったり、記録者の設定だったりという視線の固定化ということか。

冒頭で活躍するのは素人探偵のタバレだけれど、途中から中心となるのは予審判事のダビュロン。しかし現実だったら任務から外れなきゃいけないはず。ルコックは超端役だった。


文明が進歩するにつれ、重大な訴訟で陪審員はより慎重になり、より躊躇するようになるだろう。自分の肩にかかる責任が大きくなるばかりか、不確定要素も増大するからだ。すでに死刑判決に尻ごみする陪審員も多く見られるらしい。死刑が執行されることになったら、自分には責任はないと言いだす陪審員もいることだろう。親殺しの死刑囚のために恩赦の請願をした者もいたくらいだからな。審議をはじめるにあたって陪審員のだれもが考えるのは、自分が直前に聴取したことの是非ではなく、夜な夜な悔恨の思いに駆られるのはご免こうむりたいということなのだ。無実の人間をひとり拘留する危険を冒すより、多数の悪党を見逃すほうがましというわけか。(P154)

このあたりの心意は不変だと思う。裁判員制度が始まるけれど、どうなることやら。


小倉孝誠「推理小説の源流 ガボリオからルブランへ」

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