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2008/11/23

腕ひしぎ(その3)

新たなスポーツとして脚光を浴びた柔術は、その後まもなく見捨てられてしまう。警察や軍隊の訓練の中と、見世物興行で細々と生き残ることになる。

しかし警察と軍隊においてジウジツへの関心はいき続けた。一九〇五年パリ警視総監は市内の犯罪が増え逮捕が困難になってきたのを憂慮して、警官にジウジツを習わせることを決定した。これは警官の活動に自転車及び潜水服が取り入れられたことに続く、社会の養成に基づいた決定であり期待も大きかった。ジウジツを体得している警官は強い、という観念が広まったのが何よりの収穫だった。(同P24)

これで、わざわざルパンが「オルフェーブル河岸」(パリ警視庁)を持ち出してきた理由が分かる。警察への採用に関しては次のような記録が残っているらしい。日本側の働きかけと、柔術の知名度が上がったこととが作用して採用される運びになったのだろう。

一九〇一年のパリの警察関係の記録によると、東京の検事総長がパリの警視庁を訪問した際に、フランスの警官の中にあまり体格が優れない者もいるのを見て、日本の警察で活用している技を披露して、フランスでも試みるように勧めた、とある。(同P20)

そして、

レ=ニエがロンドンで習った教師は天神真楊流であり、この頃のフランスにはまだ嘉納治五郎の柔道は普及していなかった。(同P25)

これも知りたかった。当時、有名無名の日本人が海を渡り、そのなかには古い柔術を伝える者もいたのだ。天神真楊流は嘉納治五郎が最初に入門し、講道館柔道の元になった柔術の一つである。腕ひしぎは天神真楊流から柔道に取り入れられた。

嘉納の最初の訪仏は1889年のマルセイユで、フランスにはすでに柔道を見聞した者もいたと思われるが、このときのムーブメントは柔術だった。嘉納の初期の訪仏がフランス柔道にどのような影響を与えたか詳しく分からないらしい。しかし、嘉納が教育者で、英語・ドイツ語が堪能、フランス語も理解できた文武両道の人だとは初めて知った(以前も目にしていたわけだが、意識して読まないと頭に入らないものである)。1906年にジウジツは優れた護身術だが本物のスポーツではないと宣言したクーベルタンは、嘉納に出会って柔道の有効さを認めることとなる。嘉納は1909年に国際オリンピック委員会の委員に選ばれている。

この後、フランスの柔道普及には低迷期が続き、再び柔道が花開こうとするのは1930年代のようだ。ラルースの辞書にはjiu-jitsuが1906年(Nouveau Larousse supplement)に、judoが1931年に採用されているらしい。フランスに渡った川石酒造之助は1935年に道場を開いた。その機を知ってか知らずか、ルパンシリーズでも柔術の言葉が再浮上する。1934年発表の「カリオストロの復讐(20)」においてである(以前の記事→ルパン:柔術)。柔術は他に「戯曲アルセーヌ・ルパン(3)」で登場する。(1908年初演。ただし、二次作品に近いと考える)


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