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2008/11/23

腕ひしぎ(その2)

「世界にかけた七色の帯」によれば、当時、イギリスでバルトン=ライト(バートン・ライト)によって柔術を元にバルティツBartitsuが考案された。バルティツ・クラブに出向き、柔術の有効性を知ったフランス人にエドモン・デポネがいる。以下、なかなか知る機会のない内容だと思うので、少々長く引用する。(見やすくするため段落ごとに空行を入れた)

柔術の有効性を知ったデポネはパリに戻ると、グレコ・ローマン型のレスリング教師エルネスト・レニエに話を持ちかけ、デポネの出資で柔術の道場を開設する事にした。デポネがパリの目抜き通りシャンゼリゼに近いポンティウ街五十五番地に場所を定め、盛んな宣伝を繰り広げている間に、レニエはロンドンで柔術の拾得に励んだ。一九〇五年の秋、レスリング教師が柔術教師となって帰ってきてからは、さらに大がかりな宣伝で「日本式武術」の有効性を売り込んだ。あまりに派手な宣伝がレスリングやボクシングの教師たちの反感を買い、まもなくボクシング教師のジョルジュ・デュボワが試合を申し込んできた。デュボワは四〇歳、ボクシングを教え恐るべきボクサーとしても知られ、フェンシング教師でもあり、重量挙げでも一流という猛者である。身長一・六八メートル、体重七五キロ。一方レ=ニエ(ジウジツ教師になってからレニエは名前を日本人風にレ=ニエと分けて書いていた)は三十六歳で身長一・六五メートル、体重六三キロ。両者とも小柄な方で、体重においてややデュボワが勝っていた。デュボワは雑誌『体育』に寄稿して、「全く平然と我々の間接をひねりにヨーロッパにやてくる日本人」を皮肉り、ギリシャ、ローマ時代から二千年にわたって学んできた正統な格闘技が今や東洋の怪しげな技によってねじ伏せられようとしている、と憤慨する。


デュボウの挑戦はたちまちスポーツ新聞に大きく取り上げられ、パリじゅうの話題になる。試合の規則は簡単で「噛みつくこと、眼をつぶすこと、下腹部を傷つけること以外はすべて許される」というもの。場所の選定に苦労して何度か延期になったあげく、試合は一九〇五年十月二十六日、場所はパリの西九キロにある郊外の町クールブヴォワのヴェドリーヌ自動車工場の敷地内と決定した。前評判が高く、パリ市内では混乱が予想されるとして警察の許可がとれなかったのだ。試合は公園ではなく専門家だけが入場を許された。スポーツ新聞紙『野外生活La Vie au grand air』の写真が残っているが、一二メートル四方に網を張って作った広々としたリングを囲んで試合をのぞき込んでいる観客は、みなシルクハットか山高帽で正装した紳士たちで、そのなかに毛皮の襟巻きをした女性がちらほら。戦っているレ=ニエも上着を着ており、デュボワはジャケットに赤い手袋といういでたちであった。試合の経過を伝える自動車とスポーツの専門紙『自動車L'Aout』の記事によると「そこには五百人を越える招待客がいた! パリじゅうの著名なスポーツマンはみな顔を揃えている。ボクシングの花形選手が自動車レースの第一人者と並び、有名なフェンシング選手たちもリングのまわりにひしめき、スポーツ記者たちが全員勢揃いしていた……」という状況であった。


結果はあっけなく終わる。レ=ニエがデュボワを「腕ひしぎ」で押さえ込んで六秒で勝った。


「今や『ジウジツ』という言葉はまるで勝利のラッパのようにパリのいたるところで鳴り響いている。街でも、新聞紙上でも、ミュージックホールでも」とある新聞は報じた。レ=ニエのクラブにはパリの上流社会の人士が次々と登録した。(「世界にかけた七色の帯」P21ー22)

ボクシングの猛者をたった6秒で倒した。柔術(ジウジツと発音されていた)とレニエ=デュボワ戦の決め技「腕ひしぎ」は最新流行の話題だったのである。しかも、「今や『ジウジツ』という言葉はまるで勝利のラッパのようにパリのいたるところで鳴り響いている。街でも、新聞紙上でも、ミュージックホールでも」と報じたある新聞とは、Aのページに拠れば1906年1月14日付の「le sport Universel illustre」紙と思われるが、「アルセーヌ・ルパンの脱獄(1-3)」が掲載された「ジュ・セ・トゥ」12号の発行日は1906年1月15日なのだ。作者ルブランがいかに素早く反応し時流に乗っていたかが分かる。

なお、「野外生活(La Vie au grand air)」というのは、「ジュ・セ・トゥ」と同じ出版社の雑誌、つまり、ルパンシリーズの仕掛け人ピエール・ラフィットが創刊した雑誌(山田登世子「リゾート世紀末」によればスポーツ週刊誌)で、第1号(1898年)には他社から刊行されていたルブランの「これが翼だ」が再録されている。だからレニエ=デュボワ戦の資料はすぐ手に入る状況にあったはずである。


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