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2008/05/22

「奇岩城」探求(その14) 奇巌城・後

※以下の文章は「奇岩城(4)」の内容に触れています。※

この項では引用に当たって仮名遣いと漢字は現代のものに改め、重ね字は用いないようにした。ルビは分かりにくい箇所のみ残した。


前項で引用した新学社版の部分、私は言葉が繋がってないと思ったし意味もとれなかった(頭を包む絶壁とは如何)が、三津木春影「大宝窟王」を読んで腑に落ちた。これは日本における「奇岩城(4)」の最も早い紹介とされている作品である。


にも係らず、巌全体の形が如何にも巨大である、堅固である、驚くきものである、そして堂々として破壊す可からざる面魂つらだましいを備えている。それに対しては海の激浪怒涛げきろうどとうも一堪りもなく跳ね返されそうである。不朽不滅の形は壮厳偉大の相、相対して大陸を限る綿々無辺の絶壁の城塁を侮り、脚下きゃっか囲繞いにょうする広漠際涯こうばくさいがいなき大洋をあざわらって、屹然頑然きつぜんがんぜんとして聳立しょうりつするこの怪巨巌!(三津木春影「大寶窟王」後篇P148-149)

新学社文庫の訳は三津木訳を踏襲していることは明らかで、奇巌城は怪巨巌の言い換えということもできる。三津木訳は表現は古いが文章自体は明瞭だ。ここはやはり岩のほうがしっくりくる。原文ではこうなっている。

Et tout cela puissant, solide, formidable, avec un air de chose indestructible contre quoi l'assaut furieux des vagues et des tempetes ne pouvait prevaloir. Tout cela, definitif, immanent, grandiose malgre la grandeur du rempart de falaises qui le dominait, immense malgre l'immensite de l'espace ou cela s'erigeait.

そしてその全体が力づよく、ものすごく頑丈で、荒れ狂う波や、吹きつける嵐をものともしないように、いかめしくそびえ立っている。全体が厳然と、どっしりしていて、それを見おろしている断崖の壮大さにも劣らず雄大であり、周囲の空間のひろがりにも負けず広大である。(集英社文庫「奇巌城」P224-225)

この箇所の意味を捉えるときに注意が必要なのは、レギーユは断崖より低いし、周囲の空間の中に納まっている存在であるということだ。だからこそレギーユの絶対的な大きさを表しているといえる。もしくは、崇高さ偉大さといった抽象的な大きさを含んでいるのかも知れないし、ボートルレの視界の中での大きさを表しているのかも知れない(岩に意識が集中しているので周りの大きさは問題にならない)。


三津木訳でタイトルと呼応する箇所はこのあたりになる。

『(略)実に綺麗な風景じゃないか! この渺茫びょうぼうたる大海おおうみと……あの無辺むへん蒼空あおぞら……左右には安春あばる巌門がんもんと、万年門まんねんもんとが屹立して、城主の為に永遠に凱旋門の役を勤めていてくれる……ところでその光栄ある城主は誰だ?……即ちくいう我輩じゃないか! 我輩はものがたりのなかの主人公である、魔法国の王である、大宝窟の殿様である! 実に奇抜な、自然界を超絶した国王だねえ! しいざあから鉄光!……何という華々しい運命だろう!』不意にカラカラと呵笑わらい出して『魔法国の王様! どうしてどうしてそんなケチなんじゃない……そうさ、全世界の王様とでも言ったら少しは当るだろう! この大宝窟の最上層から我輩は世界に君臨しているのだ!(略)』(三津木春影「大寶窟王」後篇P216-217)

※鉄光はルパンのこと


この高揚感とスケールが堪らない。「即ち斯くいう我輩じゃないか!」このフレーズが自作自演で自慢しい(自慢屋)のルパンっぽくて好き。万年門(Manneporte)、凱旋門と語呂がよいし、安春(Aval)も字面がよくってめでたい。なお、大宝窟の殿様(Roi de l'Aiguille creuse)、大宝窟の最上層(pointe d'Aiguille)でAiguilleと対応している。

それからここでは城という言葉が出てくる。空洞でない岩は城とは呼べない、かといって内部が空洞になっている岩があってもそれは城とは呼ばない。ただの隠れ家なら城とは言わない。ではあの場所を城とは言えないのかというとそうではない。外部の人間が城と言うなら豪勢な建物、しかし内部の人間、持主なら「自分の思い通りになる空間」を指して言うことが出来る。主にとっては門とを備えた城であり、自ら君臨する場所であるのだ。岩波少年文庫版とハヤカワ文庫版ではこの場面(「奇岩城」探求(その11)引用部の後)に“奇巌城”が使われている。“奇巌城”はあくまで固有名詞だから訳文で唐突に使用するのはどうかと思うが一見のよそ者が言うより納得できる。

「(略)ほら、君が解読しようとしてもできないあの<空洞の針エギーユ・クルーズ>の秘密は、ひょっとすると無尽蔵のすばらしい宝かもしれないし……あるいは、目には見えない、ふうがわりな、とほうもない隠れ家かも知れないし……あるいはその両方かもしれない(略)」(岩波P159)

いわば前者に繋がるのが「宝窟」で、後者が「城」だろう。レギーユ・クルーズがルパンにとってどういう場所だったのかというときに、この意味が活きてくる。レギーユ・クルーズという言葉の意味と、その存在の意味をまずは分けて考えるべきだと思う。

それなのに両者が折々混同されているのはレギーユという言葉が正確には訳せないからだろう。他にメリットもあると分かってはいるけど、私は針岩という訳語がベストだとは思わない。針岩とは針岩と名づけられた岩だとイメージしてしまう言葉だから。レギーユは、レギーユ(エギーユ)という名前のエギーユなのだ。日本語では訳語が変わるが、原文ではずっとl'Aiguilleで、l'Aiguilleの語頭が大文字なのは固有名詞だからと分かる仕掛けになっている。

他に翻訳を読んでいて思うのは、単なるレギーユと空洞のレギーユが一緒くたにされていることがあること。同じと扱っていい場面もあるがそうではない場面もある。「奇岩城(4)」の外においても同様で、「奇岩城」探求(その12)に書いたように「カリオストロ伯爵夫人(13)」のレギーユは空洞ではない。同じように登場人物がレギーユを眺めているシーンは「テレーズとジェルメーヌ(12-3)」にもある。レギーユを指すのに普通名詞としてaiguilleが使われているのはここのみである。話者がこの土地に明るくないこと、話者にとってルパンの活躍は伝説めいたものであることを示しているのかもしれない。いずれにせよレギーユは何も知らない人間には単なる岩にしか見えない。

「(略)あの左手にそびえたってる大きなさきのとがった岩に、ほんとうにアルセーヌ・ルパンが住んでいたのかなんて、のんきなことを考えにここにやってきたんじゃなかったわね。」(偕成社全集「八点鐘」P106-107/テレーズとジェルメーヌ(12-3))

- Mais tout de meme, nous ne sommes pas venus pour jouir des spectacles de la nature, ou pour nous demander si cette enorme aiguille de pierre qui se dresse a notre gauche fut reellement la demeure d'Arsene Lupin.


※以上の文章は「奇岩城(4)」の内容に触れています。※

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