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2008/05/28

八の魔術 - 八点鐘(12)

※以下の文章は「八点鐘(12)」の内容に触れています。※


「八点鐘(12)」は8つの短編からなる連作短編集である。この作品において8はきわめて重要な数字である。

8つの中でもっとも恐ろしく衝撃的な作品といえば6話だろう。そこに登場するのは、エルベット(Herbette)、エルマンス(Hermance)、エルミニー(Herminie)、イレリー(Hilairie)、オノリーヌ(Honorine)、オルタンス(Hortense)と言う名前の女性。同じくHから始まる8文字で形成されている。そのうえHはアルファベットの8番目の文字で、8を体現しているのである。犯人が固執したのはこれだった。犯人は“凶器”にも固執した。この“凶器”がHとと同じ発音だということは、すでにルパンシリーズのある短編で明言されているとおり。しかしこのHは発音されず“姿が見えない”文字となっている。“姿が見えない”犯人そのものでもあった。

同じ特徴を持つ名前の女性はもう一人いる。4話に登場する幸福な姫君ことプランセス・ウルーズ(Princesse Heureuse)。ヒロインの妹の役名であり、映画のタイトルでもある。公爵は姉妹を前にして何度もこの言葉を口にする。実はこのときに意識下で共通する特徴(等しくHから始まって同じ長さで終わる単語であると)に気づいていたのではないか、と考えると怖い話になってしまうけれど、さにあらず。自分がヒロインにプレゼントをしたいもの(幸福=heureuse。形容詞heureuxの女性形)だからである。


1話のラストで、コルサージュの留め金を無くして以来不幸だというヒロインに公爵はこう告げている。

「僕がそれを見つけ出してあげましょう」レニーヌが請け合った。「そしてあなたは幸福におなりでしょう」(新潮文庫P58)
Je la retrouverai, affirma Renine, et vous serez heureuse.

幸福をもたらすことこそがはじめに取り交わした約束だった。そして、ここがラストということは、1話はオルタンス・ダニエル(Hortense Daniel)で始まり、heureuseで終わっているのである。


幸福はヒロインの望むものであった。

「わたし贅沢も財宝も望みませんの」
「では何がお望みでしょう?」
「望みは幸福ですわ」(新潮文庫P16)

ここでいう幸福はbonheur(名詞)使われている。公爵は退屈な日々を託つヒロインに生きる望みを吹き込み幸福をもたらすために働いていた。しかし「幸福な(heureuse)」という言葉が散りばめられた4話では、木こりの“仕事道具”によりすでに見えない楔が打ち込まれている。そして6話で木こりの“仕事道具”は“凶器”に変わり、ヒロインは殺人鬼の「恐ろしい犯行(horrible besogne)」(新潮文庫P255)に巻き込まれてしまうのである。

このように「八点鐘」を連作短編集と捉えるときには、まず1話、4話、6話、8話の4つを抑える必要があると考える。残りは強弱でいうと弱であり、7話では最初の約束を忘れてしまったかのように二人はよそよそしく振舞う。


幸福な(heureuse)という形容詞のように、同じ特徴をもつのは女性の名前だけとは限らない。8話で公爵がヒロインを再び冒険に誘い出す手紙にはこう書かれている。

限られた期間内に、僕らは自分たちの生活の書に、美しい八編の物語を書き込む、その物語に精力と理論と忍耐力と、また多少の機知と、時には英雄主義のいくらかを注入するというのが、その約束でした。いよいよ、八番目の物語を書き込む時期に達しました。あの時計の文字板が、十二月五日、夜の八時を告げて鳴りだすより先にその冒険が完了するがためには、あなたの出動が必要です。(新潮文庫P347)

物語(histoire(s))、英雄主義(heroisme)、八番目(huitieme)、八時(huitieme heure)のhuitieme、いずれも8文字である。

そして、主人公とヒロインを結びつけるのはほかならぬアラングル(Halingre)屋敷の時計というわけである。


以下、羅列による補足。

  • アラングル(Halingre)というのは元々の持ち主の名前かもしれない。少なくとも綴りを創生したわけではないようだ。
    Halingre - nom de famille Halingre. Nombre et localisation(仏語) http://www.linternaute.com/femmes/nom-de-famille/nom/104796/halingre.shtml
  • 「テレーズとジェルメーヌ(12-3)」に出てくるオーヴィル(Hauville)というホテルは、ルーアンの西にある地名を屋号にしたものか、あるいは人名(姓)由来か。
    Hauville - Google マップ
    Hauville - nom de famille Hauville. Nombre et localisation(仏語) http://www.linternaute.com/femmes/nom-de-famille/nom/106355/hauville.shtml
  • 八時(huitieme heure)などの時(heure)と、幸福な(heureuse)や幸福(bonheur)の語幹部分はつづりも発音も同じようだ。heur(幸福)という古い名詞もある。
  • 犠牲者の一人の名前について、ある箇所で「エルミーヌ」となっている(新潮文庫P254)。Hermineは7文字。普通名詞だとエルミン(和名はオコジョ)という動物で、真っ白い毛皮が特徴。この部分は誤植なのか、別に意味があるのか不明。Hから始まっているのでいたずらに誤りとも思われない。また、「清純で無垢な人」の意味もあるらしい(2009/07/26加筆)。
  • ルパンシリーズには他にアヴリーヌ(Haveline)という女性が登場する。「バーネット探偵社(15)」
  • イギリスの小説ハリーポッターシリーズに登場するハーマイオニーという名前のつづりはHermione。ギリシア神話だとヘルミオネ、フランス語風に読むとエルミオーヌ(ラシーヌ「アンドロマック」岩波文庫)。余談ながら同シリーズにはリーマス・ルーピン(Remus John Lupin)という登場人物が出てくる。
  • ジャック・ベッケルの映画「怪盗ルパン」に出ていた女優ユゲット・ユー(Huguette Hue)にも危険信号が。

□2009/11/08
Gerard Pouchain "Promenades en Normandie, avec Maurice Leblanc et Arsene Lupin" にエトルタ・オーヴィル(Hauville)ホテルの広告が載っていました。実在したようですね。


※以上の文章は「八点鐘(12)」の内容に触れています。※

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コメント

こんにちは、おひさしぶりです、Ko-Akira さん。
ペレンナです(^一^)

「八点鐘」( Les Huit Coups de l’horloge )という作品の重要なキーワードとなる“8”( huit =ユイット)という数字と“H”( アッシュ )との不思議な関係について、とても詳しく考察されていて、「そんな見方もあったのか!」と、とても興味深く拝読いたしました。

以前からつねづね思っていたのですが、ルブランの「ルパン」シリーズにはこうした“言葉遊び”や“奇妙な偶然性”などが効果的に、数多く盛り込まれていると思います。
このようなフランス語による“言葉遊び”や作品にちりばめられた“手がかり”――たとえば、「奇岩城」の“aiguille creuse”や「813」の“APOON”など――は、日本語に翻訳された本を読んでいるだけでは、その漠然とした示唆や暗合を正確に理解することができません。やはり「ルパン」シリーズを“本当に理解する”ためには、てっとりばやく原書を読むのが一番良い方法なのではないか。。?? と思ってしまいますよね(^^;)

「ルパン」シリーズと同じような“しゃれ”や“アナグラム”などの“言語遊戯”や、巧妙に仕組まれた“伏線”、他作家からの“引用”や“言及”を多用して、自身の作品の効果を高めている小説といえば、ロシア系の米国作家・ヴラジーミル・ナボコフ( Vladimir Nabokov )の「ロリータ」( Lolita )を思い浮かべます。

この作品のなかには、「アルセーヌ・ルパン」やルブランの「ある探偵小説」について、さりげなく言及している箇所もあります。わたし的に思ったのですが、ヒロインの12歳の少女「ドロレス・ヘイズ」( Dolores Haze )の愛称「ロリータ」( Lolita )も、なんとなく「ドロレス・ケッセルバッハ」( Dolorès Kesselbach )の愛称「レティティア」( Loetitia )と韻を踏んでいるような気がします。ひょっとしたらナボコフも、「ルパン」シリーズからいくらか“影響を受けた”こともあるのではないか。。?? と勝手に想像してしまうのはわたしだけでしょうか・・(^∇^;)

お久しぶりです。

興味を持って読んでいただけて嬉しいです。アラングルや幸福なという言葉を発見したときは、こればっかりは原文で読まなければ分からないだろうと思いました。相変わらずフランス語は分からないのですが、キーワードを知ると、文章というじゅうたんの中に、キーワードの言葉が模様としてふっと浮き上がるような感覚になりますね。その模様の意図が読み取れればもっといいのですが。

最近難しいなと思うのはaventureです。第一に訳される言葉では「冒険」なのでしょうけれど、「八点鐘」のaventureはもっと小さな、身近なものですよね。退屈じゃないものというか、スリルを味わう体験というか。でもルパンシリーズでは、一かばちかの大勝負を表していたり、未知の領域に大胆に踏み込むことを表していたり…かといって訳さずアバンチュールとすると語弊がありますし(^^;; そういうのはまず自分の頭の中でaventureとして置いておくしかないのかもしれないと思います。


「ロリータ」を読んだことがないのですが、冒頭の文章は知っています。ローラ(Lola)やロリータはドロレスの愛称でしたね。

そこでふと思ったのですが、Lにレティティアを持ってこなくても、ドロレスの愛称だとしてもいいはずなのですよね。戸籍で置き換えられた名前を知ったとき、ルパンの胸中にはすぐにその可能性が浮かんだと思います(多分読者も気づくことを想定している気がします)。そこをずらしてレティティアにするところがルブランらしいかも。すべて終わってしまった後に知ることでレティティアという名前の、喜びという意味の空しさが強調されるように思います。

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