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2007/08/06

ルールタビーユとルパン

ルールタビーユとルパンは似ている。読んでいて鼻につくところがあるけれども、弱音を吐いたりとても人間くさかったりする。全体に受ける印象は異なるけれど。


実はこの2人同い年である。1907年に発表された(1907年に上梓したとされることが多いが、出版は1908年だろう)。「黄色い部屋の謎」は、15年前の事件として語られる。年代を出すことで事件記事の体裁を整え、現実味を与えているのだろう。被害者の父スタンジェルソン博士は、キュリー夫人の発見より前に凄い発見をしたということになっている(ラジウムについてはルパンシリーズでも登場し、フランスでの話題性高さが伺える)。ともあれ、1892年当時18歳のルールタビーユは、1894年に20歳でカリオストロ伯爵夫人の陰謀に巻き込まれたルパンと同じ年に生まれていることになる。

ただし、ルールタビーユはシリーズが進むにつれて年代が下った可能性がある。フランス語のファンサイトではルールタビーユは1885年生まれとなっている。おそらく第3作「ツァーに招かれたルールタビーユ」は、1905年のロシア革命と関係するのではないだろうか。そのあたりから年代設定が変わってしまったものと推測される。日本語で読める「黄色い部屋の謎」「黒衣夫人の香り」(後者の舞台は1895年)では同じ設定である。いつの間にか十も若返るなんて、ルパンにしては相当羨ましいだろう。

Bienvenue dans l'univers de Joseph Rouletabille, reporter(フランス語)
http://www.rouletabille.perso.cegetel.net/

一方ルパンの生年が確定するのは1924年刊行の「カリオストロ伯爵夫人(13)」だが、「金髪婦人(2-1)」でショルメスが1874年頃ルパンは子供だったはずだと推測していることから、生年のずれはあまりないと考えられる。


出生面においても共通点がある。ルールタビーユはアメリカ生まれで、父が逮捕されたとき母は夫の正体を知り、フランスに帰国する(渡仏する、かもしれない)。ルパンの父もアメリカで逮捕されている。(ひょっとすると、身分の異なる結婚は祖国では居づらいために親子揃ってアメリカにいた可能性もある。ルパンシリーズ内でもアメリカはアメリカンドリームの国であり、犯罪者の逃亡先でもあった)。これは家庭内の悲劇がよく題材とされるロマン・フィユトンというジャンルのせいかもしれない。しかし、ルールタビーユは過去に囚われたところから出発するが、ルパンは未来から登場し、両親が重荷となる話はない。(ルパンが初めて現れたのは、就航前の船の上であった→未来の船・プロヴァンス号

2人とも自殺を試みるものの泳ぎが上手いおかげで命拾いする。両親を知らないルールタビーユは9歳で寄宿舎を飛び出しストリート・チルドレンとなる。浮浪というのは19世紀のフランスでは犯罪であった。それでも記者という職を得たのは持って生まれた才知のおかげだ。浮浪者であった人間が職を得るというのはかなり異例のことといえる。


2人に比べてみると、「奇岩城(4)」のボートルレは影とか闇の部分がない無垢な存在として表れる。よく言われているボートルレのモデルがルールタビーユであるというのは証明するのは難しいと思う。住む世界、生い立ちが違いすぎている(他の面から見てもボートルレとルパン、ルパンとルールタビーユのほうが距離が近いように思う)。

ボートルレは容易に挿げ替えられるような人物ではない。レギーユ・クルーズを発見できるのは、みずみずしい感性を持った、感受性の強い人物でなくてはならないからだ。そうであっても、レギーユ・クルーズの秘密に興味を持たせるのに一苦労している。ひょっとしたら初期設定ではルパンが発見者だったかもしれないが。なおボートルレは金髪で長身痩躯(ルパンより背が高いはず)、ルールタビーユは金髪黒目、背が低く太っている。

ボートルレ=ルールタビーユ説で最もよく目にされているのは創元推理文庫「奇巌城」の解説にある中島河太郎氏のものだろう。この解説では「奇岩城」の発表が1912年ということが前提となっている。実際には「奇岩城」の発表は1908年11月、出版は1909年であり、初出の雑誌「ジュ・セ・トゥ」では、1906年3月号の時点で「奇岩城」の発表が予告されている。これは4つめの短編が発表された直後で、ホームズ(ショルメス)が登場する前である。もう一つの指摘、密室についてもすでに短編で挑戦している。目に見える証拠を過度に信用せず、推論・仮説を優先するという点では似ていると思った。


最後にもう一つ、両シリーズとも同じ版元(ピエール・ラフィット社)から出版されており、ルールタビーユシリーズも雑誌「ジュ・セ・トゥ」に連載されたことがある。1917年に発表された「クルップのルールタビーユ」は第一次世界大戦が舞台で、ルールタビーユは時代に追いついてしまった。
雑誌「ジュ・セ・トゥ」目録


□参考サイト
「黄色い部屋の謎」関連情報
http://www.asahi-net.or.jp/~pc4y-ktu/yr.html
Joseph Rouletabille - Wikipedia, the free encyclopedia(英語)
http://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Rouletabille

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