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2005/09/06

ルパンシリーズのホームズ(その1) ホームズとショルメス

ルパンシリーズのホームズないしショルメスについて。(以下の文章でフランス語表記のアクサンは省いている)

ルパンシリーズの原書において登場するイギリスの名探偵は全てエルロック・ショルメス(Herlock Sholmes)であり、助手の名はウィルソン(Wilson)だ。しかし、日本ではシャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)と訳されるのが慣習的であり、児童書では助手の名をワトソンと改名されてさえいる。(確認したところ、ウィルソンのままなのは創元推理文庫、新潮文庫、青い鳥文庫の3つ。いずれもショルメスについてはホームズと改名)

まずは、ショルメスが登場している作品の一覧を上げてみる。

作品名初出書名刊行年月
遅かりしシャーロック・ホームズ「ジュ・セ・トゥ」
1906.6
怪盗紳士ルパン1907.6
金髪の夫人「ジュ・セ・トゥ」
1906.11-1907.4
ルパン対ホームズ1908.2
ユダヤのランプ「ジュ・セ・トゥ」
1907.9-11
奇巌城「ジュ・セ・トゥ」
1908.11-1909.5
奇巌城1909.6
813「ル・ジュルナル」
1910.3-5
8131910.7

※書籍はいずれもピエールラフィット社より刊行

ルパンシリーズにホームズが登場することになったのは雑誌「ジュ・セ・トゥ」の編集者であるピエール・ラフィット氏差し金だったらしい。そもそもルパンが誕生することになるのも、ラフィットの依頼からだった。そして書かれた「遅かりしシャーロック・ホームズ」でルパンとホームズは直接的には対決することなく終わる。しかしコナン・ドイルの抗議によりあえなく改名を余儀なくされ、そのあとに発表されたのが「金髪の美女」である。この作品でシャーロック・ホームズのアナグラムのエルロック・ショルメスが登場し、助手のウィルソンンが初登場する。なお「遅かりしシャーロック・ホームズ」は単行本には改名後の名前で収録されている。


この「金髪の美女」では怪盗ルパンに対抗する探偵が2人でてくる。ガニマールとショルメスだ。2人の紹介はこうなっている。(いずれも「ルパン対ホームズ」偕成社文庫、竹西英夫訳、1987年初版、2003年29刷)

 ガニマール警部は、その操作方法をもって一派をなし、その名が司法史上に残るような偉大な警察官ではない。彼には、デュパンやルコックやシャーロック=ホームズ級の人びとのもつあの天才的なひらめきが欠けている。だが、彼にはさまざまのすぐれた平均的な長所があり、観察力があり、聰明さと忍耐力があり、直観力さえもそなえている。彼の真価は、絶対的な独立性をもって行動するところにある。

 いずれにしろ、これがシャーロック=ホームズ(※)なのであった。直観と観察と名刹と創意からなる一種の天才。あるいは人はいうだろう。自然は、想像力が生みだしたもっとも非凡な探偵のふたつのタイプ、すなわちエドガー=アラン=ポー(アメリカの小説家1809-49年)がつくりだした名探偵デュパンとガボリオー(フランスの小説家1823-73年)が生みだした老探偵ルコックをたわむれに素材としてとりあげ、それらをもって一個の、さらに非凡で非現実的なタイプをつくったのかもしれないと。

※原文ではエルロック=ショルメス

2人を評するときに共通して出てくる人物が、アメリカの小説家ポーが創ったオーギュスト・デュパンと、フランスの小説家エミール・ガボリオが創ったルコックという探偵である。ポーとガボリオ、ともに推理小説の成立欠かせない存在である。ガボリオは現在あまり知られていないけれども(邦訳も絶版)、ガボリオの作品はデュパンものの影響を受けて書かれ、デュパンやホームズより先に日本に紹介されたらしい。この2人の探偵はドイルのホームズシリーズの第1作「緋色の研究」でも言及されている。


緋のエチュード 第一部 第二章

「説明してみれば、簡単だな。」と私は微笑んだ。「君はエドガー・アラン・ポォのデュパンを彷彿とさせるね(※10)。物語の外にもこんな人物がいるとは、思ってもみなかった。」
 シャーロック・ホームズは立ち上がって、パイプに火をつけた。「君は褒めるつもりで僕をデュパンになぞらえたのだろうが、僕にしてみれば、デュパンなぞひどく劣等な男だ。考え込む友人の前で突然、適当な意見を述べる。それも一五分も沈黙した後でだ。あのようなやり口は実に露骨で表層的。ある種の分析的思考に恵まれてはいたには違いなかろうが、ポォが思っているほど非凡な人間とはお世辞にも言い難い。」
「ガボリオの作品は読んだことあるかい? ルコックなら君の探偵像に合致するだろう?(※11)」
 シャーロック・ホームズは冷ややかに鼻であしらった。「ルコックは哀れなへっぽこだ。」と声は怒り調子に、「褒められたことは、その行動力くらいか。あの本を読むと、本当に気分が悪くなる。問題は、正体不明の囚人の身元確認一点。僕なら二十四時間以内にやってみせる。ルコックは六ヶ月あたりはかかったがね。いい教材を創ってくれたよ、これあらば、探偵は見習わざるべき事を知れるのだから。」
 私が賞賛してやまない二人の人物を、かくも高い目線からさんざんに扱われては、憤慨を抑えるだけで精一杯だった。私は窓際へ歩み寄り、賑やかな通りを見下ろした。「この男、なるほど賢いかもしれんが、すこぶる自負心が強すぎる。」と私は思った。


先人に対して気を吐くというか対抗心を見せるというのはなくはないことで、ガストン・ルルーも「黄色い部屋の謎」で、これは「モルグ街の殺人」や「まだらの紐」のような作り物ではない本物の密室だと書いている(あまつさえネタばらししてる)。ドイルのこの表現もそうだったのかもしれない。批判とは裏腹にポーやガボリオの影響が色濃いからだ。

ルブランはデュパンやルコックを貶めた言い方が気に入らなかったらしい。どちらもフランス人の探偵なのだ。ルパンが愛国心旺盛なのは他作品にも見られることで、だからイギリスの探偵をやり込めたかったのかもしれない。しかももはやホームズではなく、ショルメスなのだ。イギリスの探偵を遠慮会釈なく扱うことができる。そう思って「金髪の美女」を執筆したのかもしれない。また、フランスの推理小説、ルコックの正しい系譜は自分であるという気負があったらしい。実際ルコックはルパンと同じくヴィドックの系譜を引く善悪2面性をもった探偵だった。


そして、この作品の影にもう一人フランスの探偵がいる。フランスで「ルコック探偵」の影響を受けて書かれた作品の一つに、アンリ・コーヴァン(Henry Cauvain)の「マクシミリアン・エレール」(Maximilien Heller)がある(邦訳なし)。「推理小説の源流 ガボリオからルブランへ」における紹介を引用する。

アンリ・コーヴァン(1947-99)の『マクシミリアン・エレール』(1871)は、なぞめいた毒殺事件の物語である。語り手の「私」は医者であり、「私」が知り合ったぶっきらぼうで阿片常用者の哲学者エレールが、無実の罪を着せられた隣人ゲランを救うために事件に乗り出す。語り手と主人公の組み合わせ、エレールが慧眼な観察をし、「私」と改札当局がそれを引き立たせるように粗忽な精神を露呈するという設定は、まるで後のホームズとワトスンを予告しているかのようである。

ホームズとエレールの類似点はいくつか指摘できるらしい。しかもコーヴァンのこの作品は「緋色の研究」に先駆けること6年前、1881年には英訳も刊行されている。ついで「怪盗対名探偵 フランス・ミステリーの歴史」より引用する。

密室犯罪をあつかい、探偵役を登場させ、トリックも駆使している。つまり近代的な探偵小説に近い。
 さらに注意すべきは、マクシミリアンとホームズの類似点である。ホームズ同様猫が好きだし、阿片愛好者だ。帰納法推理を使うところもおなじなのだ。それに、話し手が医師だ。そのワトソン役の名前がウィクソンWikson、ワトソンWatsonの綴りとくらべて頂きたい。

いや、それをいうならウィルソン(Wilson)…と思って愕然とした。また、「金髪の美女」のマキシム・ベルモン(Maxime Bermond)という登場人物の名前とエルロック(Herlock)と言う名が“Maximilien Heller”という名前を炙り出しているのではないかというのが「新潮45」においての志水氏の弁だ。その信憑性はともかく、ルブランが「マクシミリアン・エレール」を読んでいた可能性はあるわけで、やはりフランスが生んだ探偵に着想を得ているのに…、という思いがあったのだろう。もう一つ言っておくと、「金髪の美女」にはオーギュスト(デュパンのファーストネームと同じ)という修道女も出てくる。


□参考サイト
ルコック探偵(Monsieur Lecoq)
オーギュスト・デュパン(C. Auguste Dupin)
仏19c忘却作家:アンリ・コーヴァン
ルパン一族の祕密―一世から三世、そして……
Books in the public domain in Canada - Maurice Leblanc
□参考文献
・雑誌「新潮45」2005年9月号『生誕百年「アルセーヌ・ルパン」雑学集』志水一夫著
・「名探偵読本7 怪盗ルパン」榊原晃三編
・日本推理作家協会賞受賞作全集52「怪盗対名探偵 フランス・ミステリーの歴史」松村喜雄著、 双葉文庫、2000年初版
・「推理小説の源流 ガボリオからルブランへ」小倉孝蔵著、淡交社、2002年初版
(上記2冊を読むとき、ルルーの「黄色い部屋の謎」を読んでおいてよかったとつくづく思った。ネタバレしまくり…ガボリオは読めないから仕方がない)
・「怪盗ルパン 奇巌城」江口清訳、集英社文庫の解説(浜田知明著)
・岩波少年文庫、偕成社文庫等「ルパン対ホームズ」邦訳書のあとがき
・「真説ルパン対ホームズ」芦辺拓著、創元推理文庫のあとがき


□2011/02/21
原文を発見。ウィクソンは、正確には「Wickson」と綴るようだ。
Ebooks libres et gratuits - CAUVAIN, HENRY : Maximilien Heller(フランス語)
http://www.ebooksgratuits.com/details.php?book=1151

□2011/03/02
語り手の医師は「わたし」であって名前がないらしい。ウィクソンはエレールに対抗する犯罪者の名前とのこと。
参考文献:清水健「マクシミリアン・エレール シャーロック・ホームズのもう一つの原型」(「ホームズの世界」32号所収、2009年)

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