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2005/08/28

「奇巌城」読み比べ(その2)

以下の文章は作品を鑑賞する上で重要なネタバレ含む可能性があります。「奇巌城」ないし「奇岩城」を読んでからご覧ください。


続きです。もう少し細かいところの指摘に移ります。

■集英社文庫版と岩波少年文庫版
集英社文庫版になくて岩波少年文庫版にあると気づいた描写。

・ダヴァルの情婦の存在(2章)
・修道院から発見された死体の描写(描写自体はどちらも有る)(3章)
・ボートルレの父の連れ出し方法と、シャトールーでの初期捜査。シャレルじいさんの様子(大きく違う)(5章)
・ルパンがマシバン博士の代わりに講演すると言う(7章)
・農家での聞き取り調査の質問内容(8章)
・愛の涙(10章)

偕成社版をざっと確認したところこれらと同じ描写がありました(岩波少年文庫はリーヴル・ド・ポッシュの1964版を使用。それ以外はどの版をもとに翻訳したか書いてありません)。とくに3、4番目あたりは完訳であろう岩波版のほうが面白かったです。6番目については、それまでイジドール君に肩入れして読んでいたらやられたーずべて許す気分になってしまいました。


集英社文庫版では基本的に理解しにくい文章はなく、あっても読み流せるんですが、たとえば以下のように岩波版のほうが訳文が分かりやすいと感じます。

集英社文庫

(略)わたしは賞賛さるべきであります。なぜならば、すでにクーリー氏から五十万フランを受けとってしまったわたしは、この良心のない富豪に対して復讐してやったからであります。


岩波少年文庫版

(略)小生を賞賛することが残されております。なぜなら、彼(※)は同情する必要のないクーリー氏から前金として受け取っていた五十万フランを手もとにとっておくことによって、公衆道徳のために報復してやっているのですから。

※ルパンのこと。なぜ彼=ルパンなのかは読めば分かります。まったくルパンらしい言い回しです。


この手紙は、ルパンの取引相手の下っ端が警察に逮捕されている状況で、ルパンが、下っ端には罪はないので釈放してあげなさいと言ってるんですね。手付金50万フランは、相手は部下を助けない悪いやつだから返さないよ、社会にとっていい事をしてるんだぞ、と。決して誉められない方法で。ルパンらしい、と思う一面です。集英社版では復讐?ルパンが何かされたの?と思ってしまったけれど、岩波版ですっきり。

参考として新潮文庫「奇岩城」堀口大學訳(1959年初版、1987年第38刷)では以下のようになっています。

(略)我輩は、称賛さるべきだ、彼(※)は好ましからざるクーレイから前金として受取った五十万フランを猫ばばすることによって、大衆の道義心のための復讐に成功したからだ。

※ルパンのこと。

文語調で明瞭ですね。

■逢坂版
上記の箇所は逢坂版では以下のようになっています。(南版では割愛されている)

 わたしの口添えによって自由の身になったあかつきには、ハーリントン氏も、失った五十万フランンを決して惜しいとは思わないでしょう。本来自由というものの代価は、五十万どころではないからです。

お金を失う人物(逮捕されたのが下っ端ではなく取引相手本人になっている)が違いますがそれは置いておいて、最初に読んだときから違和感を感じてました。これは逢坂氏の思考なんだろうけれど、作品の世界観に合わないというか引っかかるんです。(最後あたりにも逢坂氏の思考が反映されてると思しき表現があるけどそれもちょっと…)。これに先立つイジドールの手紙にも違和感を感じてます。そここまで推察できて手紙で暴くこと思ったのがまず引っかかったんですが、レイモンドの行動心理が理解できないのです。また、ルパンは女性がルパンに惚れていると指摘されて否定しないルパンなんておかしい、まして17歳の“赤ちゃん”に指摘されて皮肉やごまかしで反応しないなんて変、というのが私のイメージです。


特に女性の造形は気に入りません。読書好きの女性があの暗号を見て興味を惹かれないはずはないとも思うし、シャルロットの行動も…。前者のほうは、その次の展開を避けるため変えたんだろうと思いますけど。初読でひっかかったこれらの描写が原文どおりでないことに安心したと同時に、より納得できなくなっているなら変える意味がないと思いました。原作に沿ったまま解釈を試みようとすることで、かえって浮いているような気がします。むしろ大きく変えてしまったほうが良かったのではないでしょうか。他に手を入れた故に矛盾を生んでいるところもあって、そのとき階下にいたボートルレが知らないはずの、ルパンの部下と妻が姿を消したカーテンが分かってしまっているところあります。

また、冒頭の女性が原作と違っている理由は読めば分かると解説にあったけれど、私には分かりませんでした。この「奇巌城」発表された頃、ルパンシリーズが舞台化されています。それを思うとこの作品も非常に舞台的な感じがします。舞台ならイジドール少年の変装もおかしくはありません。冒頭についてもまず一人の女性が浮かび上がり、次に窓の有る部屋にいるとわかり、次にそれが城館の3階であると分かる。実に映像的です。やはり物語の幕開きを待っている女性はレイモンドが相応しいと思います。

と、かなり不満だらけですけれど、私自身はアリだとは思います。面白かったし読みやすいし、現代の文章だからガニマールのセリフが銭型警部の声で聞こえて楽しかったし。でも集英社文庫を読んだとき面白かったものだから、講談社文庫の解説に腹が立ってしまったんです。ルブランの欠点はともかく、少なくとも括弧で書くようなことじゃないと思います。ハードカバー版のあとがきにしても、先達の翻訳を参考にしつつ書いているのはわかるし大変だったんだろうと察しますが、ルパンものへの間口を広げるためにも翻訳時の苦労は他で吐いて欲しかったです。


最後に一つ気づいたことがあります。作中に出てくる暗号文に図形が描かれていますが、最初に発見されたとき挿絵についている暗号文の三角形(Aとする)と、暗号を解く場面で文章中に出てくる三角形(Bとする)では形が違うんです。集英社文庫、岩波少年文庫、ポプラ社文庫ともにそうですし、おそらく元のテキストも同様だと思います。たしか集英社文庫版を読んでいたとき、どうしてこの暗号(B)で位置がわかるんだろう、と思ったんですよね。逢坂氏もそう考えたのか、講談社文庫では前者(A)の形で統一されています。ポプラ社文庫の解説と集英社文庫の口絵で見られる雑誌や本の表紙では後者(B)の形です。タダこれも仕方の無いことで、Bはイジドールが記憶から再現したものなので違っていてもおかしくないんですよね。


(以上の文章は作品を鑑賞する上で重要なネタバレ含む可能性があります。「奇巌城」ないし「奇岩城」を読んでからご覧ください。)

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