2023/05/31

書籍「清少納言を求めて」

草思社の本。筆者はフィンランド人。

決め付けと思い込みの押しつけにうんざり。書き方にも内容にもいらいらするばかりだった。気になる点について書いておく。

・横笛について
横笛は※※自主規制※※の隠語(P423)のくだり、恥ずかしさと憤りで爆発しそうになった。何で枕草子の本でこんな言葉が出てくるのか分からない。この箇所の前に、枕草子乃引用で何度も横笛が出てきて印象づけている。その上で最高の(最低の)タイミングであかすのだ。

横笛は宮中の行事に持つ代われる神聖な楽器であり、横笛の主には一条天皇もいる。放埒な噂のない天皇である。不敬すぎる。そもそも、男女の和合は子孫の繁栄のためであり、子をなすというのは天皇の重要な役目だった。快楽が第一ではない。

隠語とは時と場合を選ぶ言葉。なんで??と考えてセクハラという単語が浮かんだらセクハラにしか見えてこなくなくなった。気色悪い。

・コルテザンという言葉について
アーサー・ウェイリーが英訳した本は、副題に「The diary of a courtesan in tenth century Japan」.(10世紀のコルテザンの日記)が付いている。

コルテザンはもともと宮廷の女性を指す言葉が語原だが、現在あまり使わないようだ。ただし江戸時代の遊女を紹介するのに使われる言葉でもある。古典を翻訳するときに、わざと古い言い回しを使う場合もあるから、ウェイリーがどのような意図で使用したか分からないが、現代において使うのは適切ではないと思う。

lady in waiting(侍女)やcourt lady(宮廷の女性)と紹介する方が適切なようである。ブリタニカのサイトでは「courtier(廷臣)」と説明されている。

courtesan - Wiktionary(英語)
https://en.wiktionary.org/wiki/courtesan
1. 娼婦(遊女) 2.貴族の愛人 3.宮廷の女性

Sei Shonagon | Japanese writer | Britannica(英語)
https://www.britannica.com/biography/Sei-Shonagon

 

・1670年のある日本人研究者
1670年のある日本人研究者が、清少納言や紫式部を娼婦と公表した(P422)とのことだが、中山三柳の「醍醐随筆」での記述である。中山三柳は医師で儒学を修めた。儒教は女性蔑視の考え方も大きく、女性の学問を否定するための発言であり、現実にそうであったわけではない。

1670年頃は戦乱の世が収まって、江戸時代の幕藩体制が整った時代で、元禄文化(西鶴、近松、芭蕉)が現れる前である。北村季吟が枕草子の注釈書を物した頃で、その注釈書「枕草子春曙抄」が出版されてから、枕草子があらたな読者を獲得していくのである。

醍醐随筆(『杏林叢書 第3輯』)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/935251/1/115

 

・アイヴァン・モリス『光源氏の世界』
この本では平安時代の知識の多くを『光源氏の世界』に拠っている。『光源氏の世界』では平安時代の絵画の多くは好色なものと素遅くしているが、「栄花物語」の「男絵など絵師はづかしうかかせ給う」というのは絵師が赤面するほどの(玄人はだしの)素晴らしい絵という意味であって、好色ではない。予想以上に自由恋愛の、性愛の時代と思われているようだ。

栄花物語 (校註国文叢書 ; 第10冊) 三十六 根合
https://dl.ndl.go.jp/pid/926046/1/380

 

この本は主人公がになる映画を紹介したり、江戸時代の成人向けの大衆作品と混同するような書き方をしたり、枕草子が性愛の文学であると強調される作りとなっている。現在の日本での享受についてほとんど触れておらず、違和感が甚だしい。

最後にどうしても書かざるを得ない事がある。人を悪く言うのに特定の人種を指す詞を使うのは良くない(P186)。先人が使っているからといって使うのではなく、使って良い言葉なのか考えるべきだ。

筆者は清少納言を理解できるのは私だけという聖域にいて、努力や取材の跡が見えない。自分に都合のいい清少納言を作り上げている。インターネットにも情報はあるし、自動翻訳の力も借りられる。英語なら問い合わせに対応してくれる機関もあったはずだ。日本くんだりまで何しに来たんだか。

□参考文献
・ゲルガナ・イワノワ「英訳された『枕草子』が作り出した大衆文化」
https://genjiito.org/journals/juornal2/
・Ivanova, Gergana Entcheva "Knowing women : Sei Shonagon's Makura no soshi in early-modern Japan"(英語)(知る女:近世日本における清少納言の枕草子)
https://dx.doi.org/10.14288/1.0072910
・アイヴァン・モリス『光源氏の世界』斎藤和明訳、筑摩書房、1969年
・中村幸彦『近世文藝思潮攷』岩波書店、1975年(「幕初宋学者達の文学観」)

2023/04/15

20世紀初頭のフランスと「枕草子」

「枕草子」のフランス語翻訳について調べていたら、フランスのルネ・ヴィヴィアンという20世紀初頭の女性作家が、清少納言について触れているということを知った。彼女が友人との共著ポール・リヴェルスダール名義で1904年に発表した『根付』という作品である。


中島淑恵「ルネ・ヴィヴィアンと日本の三人の女流詩人 : ポール・リヴェルスダールの著作における小野小町・清少納言・ 加賀千代女の記述をめぐって」

https://toyama.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=254


「枕草子」に基づいた詩と思われるものが紹介されているのだが、「春:曙」「夏:夜」「秋:宵」ときて「冬:昼間」なのである。冬が「つとめて(早朝)」ではない。ここが気になって調べてみた。「枕草子」単体では英語訳もフランス語訳も出ていないが、アストンの「日本文学史」には、「枕草子」の部分訳が含まれている。原著は英語で1899年に出版され、1908年に日本語訳が出ている。


日本文学史(W.G.Aston 著, 芝野六助 訳補)

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/992379/1/131

A History of Japanese Literature/Book 3/Chapter 5 - Wikisource, the free online library(英語)

https://en.wikisource.org/wiki/A_History_of_Japanese_Literature/Book_3/Chapter_5


「冬の雪は言葉では言い表せないほど美しい!(自動翻訳)」

となっていて、時間の表現がない。


日本語訳の方は、原文の翻訳ではなくて、日本で流通している本文(能因本系統)を引用している。原文はおそらく「枕草子春曙抄」から英訳したのではないだろうか。とあたりはついたのだけど、そもそも「枕草子春曙抄」読んだことがなかった。


枕草子春曙抄 上 (岩波文庫 ; 742-747)

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1129774/1/21

早稲田大学:枕草子春曙抄. 1-12 / 北村季吟 [著](影印)

https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko30/bunko30_e0094/index.html

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko30/bunko30_e0094/bunko30_e0094_0001/bunko30_e0094_0001_p0006.jpg


「冬は雪の降りたるはいふべきにもあらず。」


なんてこった、冬はつとめてではなかった(笑)


「枕草子春曙抄」は江戸時代に出版された「枕草子」の注釈書。江戸時代の知識人はほとんど「枕草子春曙抄」で枕草子を読んでいたので、「冬はつとめて」を知らなかったのではないだろうか。「つとめて」は江戸時代には完全に死語だったからかもしれない。「日本文学史」に枕草子は全部で13巻とあることからも「枕草子春曙抄」から翻訳したと推察できる(「枕草子春曙抄」全12巻と「装束抄」1冊でセットになっていることがある)。


アストンの「日本文学史」は1902年にフランス語訳が出版されている。

Gallica - Litterature japonaise / par W. G. Aston ; traduction de Henry-D. Davray(フランス語)

https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k9600256b

https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k9600256b/f135.item


「冬は昼間」とはなっていないので、ルネ・ヴィヴィアンがアストンの「日本文学史」を読んだとは確定できないけれど、少なくとも「春はあけぼの」の段について、彼女が解しうる翻訳はあったのである。


年代的にアルセーヌ・ルパンが読んでいてもおかしくはない(笑)



□参考文献・リンク

『枕草子』千年のあゆみ|ちくま学芸文庫|島内 裕子|webちくま

https://www.webchikuma.jp/articles/-/576

島内裕子「徒然草研究の起源―欧米における研究から聞い直す」

https://www.jstage.jst.go.jp/article/chusei/52/0/52_52_11/_article/-char/ja/

アストンの『日本文学史』を読みたい。 | レファレンス協同データベース

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000054899

「20世紀初頭のフランスにおける『枕草子』受容」(常田槙子)

https://genjiito.org/report/%E7%AC%AC13%E5%9B%9E%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A%E5%A0%B1%E5%91%8A%EF%BC%882020-02-12%EF%BC%89/

研究報告書一覧 - 海外平安文学情報(「日本古典文学翻訳事典」)

https://genjiito.org/aboutkaken/allresearchreports/

平安文学翻訳史 - 海外平安文学情報

https://genjiito.org/heian_ltrt/heian_history/



□おまけ

このページで見られるのは、1875年のプフィッツマイアーによる最古のドイツ語訳「Die Aufzeichnungen der japanischen Dichterin,Sei Seo-Na-Gon」(日本の詩人清少納言の手記)で良いのだろうか。アルファベットで日本語の読みを示し、ドイツ語訳が続いている(英語もドイツ語もフランス語も分からない…)

Sitzungsberichte(ドイツ語)

https://archive.org/details/sitzungsberichte81stuoft

2022/10/22

恋こそ人の命なりけり

馬場あき子『歌説話の世界』を読んでいたら、平安時代の歌人・能因に関するある説話が紹介されていた。


能因が自分が歌を提出した歌合の勝敗が知りたくて、ひそかに会場に忍び込んだ。相手の歌が詠まれると、自分の負けを悟って密かに退出したということだ。

能因の歌は
「くろかみの色もかはらぬ恋すとてつれなき人にわれぞ老いぬる」
相手方の藤原頼宗の歌は
「あふまでとせめてわが身の惜しければ恋こそ人の命なりけり」
である。

歌の優劣はよくわからないけど、頼宗は難しく考えなくても意味の分かる率直な歌だと思う。「恋こそ人の命なりけり」というフレーズに惹かれて、何気なく検索してみた(ググってみたのである)

すると、幕末の志士伊東甲子太郎が詠んだとされる和歌が出てくる。浦島坂田船さんの曲「誠-Live for Justice」では、「逢ふまでと せめて命が 惜しければ 恋こそ人の 命なりけり」と引用され、この形がよく知られているらしい。

しかしほぼ同じ形の和歌が藤原頼宗の歌としても検索できるのだ。そこで状況を整理してみたいと思う。

藤原頼宗の和歌は、1035年に藤原頼通の屋敷で行われた歌合で詠まれた歌で、『後拾遺和歌集』に入集した。

「逢ふまでと せめて命の 惜しければ 恋こそ人の いのりなりけれ」

ところが、5句目が「いのりなりけれ」ではなく、「命なりけれ」となっている場合も多いのである。そして係り結びの「こそ」があるので、本来末尾は「なりけれ」だったものが崩れて「なりけり」となれば、ほぼ伊東甲子太郎の和歌と同じである。

昔の本は手書きで書かれていたので、「いのりなりけれ」が、「いのちなりけれ」に間違われるのはなんとなくわかる。かなの「り」と「ち」の形が近いこと、「命なりけり」という表現で有名な歌があったこと、この2つが影響しているのではないだろうか。(『袋草紙』で「わが身」となっているのは謎である)

「逢ふまでと せめて命が 惜しければ 恋こそ人の 命なりけり」は伊東甲子太郎が藤原頼宗の古歌を書き付けたということではないだろうか。

□引用
馬場あき子『歌説話の世界』講談社
あふまでとせめてわが身の惜しければ恋こそ人の命なりけり(P102)

『袋草紙』岩波書店・新日本古典文学大系
※上巻と下巻では底本が異なる
上巻
あふまでとせめてわが身の惜しければ恋こそ人の命なりけれ(P83)

下巻
あふまでとせめていのちのをしければ恋こそ人のいのりなりけれ
「けれ」「けれ」、また病なり。
(略)この時、作者の大臣病ある事を始めて覚悟して(略)後日相ひ改めて、自筆の集には「こひのをしきかな」と書かる(P199)

逢ふまでとせめていのちのをしければ恋こそひとのいのりなりけれ(P214)

『後拾遺和歌集』岩波書店・新日本古典文学大系
巻第十一 恋一
642 逢ふまでとせめていのちのをしければ恋こそ人の祈りなりけれ

『歌合集』岩波書店・日本古典文学大系
長元八年五月十六日関白左大臣頼通歌合(賀陽院水閣歌合)
十番・恋 右
あふまではせめていのちのをしければ恋こそ人のいのりなりけれ

『栄花物語』小学館・新編日本古典文学全集
巻第三十二 歌合
あふまでとせめて命のをしければ恋こそ人の祈りなりけれ

『宝物集』岩波書店・新日本古典文学大系
62 あふまでとせめていのちのおしければこいこそ人のいのり也けれ

『十訓抄』小学館・新編日本古典文学全集
「一ノ十」
あふまでとせめて命の惜しければ
恋こそ人の命なりけれ
これは長元八年、三十講の歌合の歌なり。「けれ」の詞二つあれども、沙汰なくて、勝ちにけろ。

同詞の病なれども、歌がらよくなりぬれば、聞きとがめざるにや。

□参考リンク
新日本古典籍総合データベース:後拾遺和歌集
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100000027/viewer/120
あふまてとせめて命の惜けれは恋こそ人のいのちなりけれ

新日本古典籍総合データベース:袋草紙
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100005434/viewer/85
あふまてとせめていのちのおしけれはこひこそ人のいのちなりけれ

国立公文書館 デジタルアーカイブ:群書類従:賀陽院水閣歌合(6コマ目)
https://www.digital.archives.go.jp/item/728558.html
あふまてとせめていのちのおしけれは恋こそ人の命なりけれ

国立国会図書館デジタルコレクション:入道右大臣集 : 尊経閣叢刊. 解説
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184263/17
国立国会図書館デジタルコレクション:入道右大臣集 : 尊経閣叢刊. 解説
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184264/17
あふまでといのちのせめてをしきにはこひこそ人のいのりなりけれ

伊東甲子太郎「残し置く言の葉草」(2)恋・志
http://www4.plala.or.jp/bakumatsu/kodaiji/ik-waka-2.htm
あふまてとせめて命のおしけれは恋こそ人の命なりけり

誠-Live for Justice- 歌詞 浦島坂田船 | オリコン
https://music.oricon.co.jp/php/lyrics/LyricsDisp.php?music=6766275
逢ふまでと せめて命が 惜しければ 恋こそ人の 命なりけり

佐藤 雅代「「命なりけり」の歌の系譜」山陽論叢 26巻 P189-198
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sanyor/26/0/26_189/_article/-char/ja/

空行く月のめぐり逢ふまで:逢ふまでの恋ぞ祈りに
http://sorayukutsuki.livedoor.blog/archives/478985.html
逢ふまでの恋ぞ祈りになりにける年月ながき物思へとて(続後撰和歌集 藤原為家)
※藤原頼宗の歌を本歌取りした歌

2021/10/29

尾形力丸に関するメモ

明治の講談速記本に『豪傑緒方力丸弘行』がある。「緒方力丸弘行 字 自来也」とある。

豪傑緒方力丸弘行 - 国立国会図書館デジタルコレクション(講談速記本)

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/889973/5

 

児雷也(自来也)の本名は『自来也説話』では尾形周馬寛行、『児雷也豪傑譚』では尾形周馬弘行。字は違うけど「おがた」。

 

尾形力丸で検索するといくつか画像が出てくる。

 

「忍術を使う尾形力丸」と紹介されているこの絵、児雷也っぽいと感じるけれども、なぜ「周防」(山口県)なのか気になった。

H04すっぽん(花道の迫り) - もっと知りたい! 歌舞伎の世界

http://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/vm/kabuki2015/2015/11/post-45.html

 

Google様のお告げによれば、尾形力丸は「日本第一和布刈神事」と「けいせい廓苧環」という(歌舞伎)作品に登場するらしい。

 

〇「日本第一和布刈神事」について

 

「日本第一和布刈神事」が曲者で、検索するとまったく違う作品が出てくる。

 

源平合戦の時代の関東が舞台。尾形力丸は出てこない。

日本第一和布刈神事. 巻之第1-7 / 並木正三 作 ; 暁鐘成 校合并画(絵入根本)

https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he08/he08_04337/index.html

 

「錦帯橋」「大内義興」「菊浪検校 実ハ尾形力丸」などが読める。錦帯橋は山口県にある橋

日本第一和布苅神事. [2] - 国立国会図書館デジタルコレクション(演劇台帳)

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2560308/5

 

この事情については以下の論文で説明されている。

青木繁「文化期の大坂劇壇」(『日本演劇学会紀要』25巻)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjstr/25/0/25_45/_article/-char/ja

 

・「日本第一和布刈神事」は「けいせい廓苧環」の増補である

・中芝居では新しいタイトルが付けられないので、「けいせい廓苧環」を元にした作品に既存の「日本第一和布刈神事」と題を付けた

・増補後、「けいせい廓苧環」という題でも上演された

・文化8年(1811年)に増補

ということが分かる。「日本第一和布刈神事」のあらすじも紹介されている。

 

ちんこ役者はちんこ芝居(格の低い劇場で演じる小芝居をいう大坂の呼称)の役者の意味。調べたw

 

〇「けいせい廓苧環」について

 

一番下のコマ。「尾形の亡霊 力丸を呼とめ術をさづける」「力丸がまのじゅつをさづかり むほんうけつぐ」ほかに大内義興(よし興)の名前も見える

けいせい廓苧環 : 角の芝居 - 国立国会図書館デジタルコレクション(絵本番附)

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541953/2

 

一番上、右から2つ目のコマの女性の左隣は「さとひめ 力丸をしたひ おちゆく」と読める。男が力丸で女がさとひめ。

けいせい廓苧環 : 角の芝居 - 国立国会図書館デジタルコレクション(絵本番附)

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541953/3

 

『歌舞伎台帳集成22』勉誠社で翻刻されている「けいせい廓苧環」は、「尾形力丸」は出てくるが、山口県が舞台ではなく「さとひめ」も出てこない(が、口絵に「大内さと姫」が使われている)。「児雷也」の名前も出てこず、蝦蟇の妖術(呪詛)は力丸の家臣が使う。

 

「児雷也」の名がないのは当然のことで、「けいせい廓苧環」の初演は明和6年(1769年)、「自来也説話」の刊行は文化3年(1806年)。文化8年(1811年)に増補で、大幅に変わった可能性がある。

尾形力丸は尾形三郎(緒方惟義)の説話に影響を受けていて、蛇の子孫である。「廓苧環」の題もこの挿話から。緒方惟義の話は『新日本古典文学大系』平家物語(下)巻八、緒環で確認できる。


○おまけ

この英語のページ、「けいせい廓苧環」の「尾形力丸」の絵だと紹介されているが、画像に言葉がないので不詳。尾形力丸=自来也と紹介されている。

subdue two giant frogs(蛙を討伐)…蛙は味方のはずでは??

Viewing Japanese Prints Sekkotei Hokumyo (雪江亭北妙)

https://www.viewingjapaneseprints.net/texts/ukiyoe/hokumyo_sekkotei.html

 

山口県が舞台なら「きっかわたてわき」が正しいと思うけど根拠がない。

「吉川帯刀(よしかわたてわき)」 「浅尾額十郎(あさおがくじゅうろう)(初代浅尾額十郎の吉川帯刀)」 - Cultural Japan (カルチュラル・ジャパン)

https://cultural.jp/item/arc_nishikie-MFA_11_35146

2016/08/29

岩崎陽子「ルパン・エチュード」が雑誌「プリンセスGOLD」2016年12月号より新連載予定

「プリンセスGOLD」2016年9+10月号の次号予告で発表されました。

“王都妖奇譚”の岩崎陽子が大胆な解釈でおくる、
アルセーヌ・ルパンの華麗な物語。
19世紀末のフランスに一人の怪盗紳士が現れた!!

「プリンセスGOLD」は次号より隔月刊となり、偶数月の発行となります。電子版は翌月の奇数月に発行されます。次号12月号は2016年10月15日発売予定です。

プリンセスGOLD | 秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/princessgold


予告に描かれている優男、ふだん描かれる男性の半分しか厚みがないように見受けられるのですが?! 首元のストールで隠れてるだけ?? 予告イラストのルパンは顔と手と肩口程度ですが細身そう。先生が描かれるルパンならゴツくても骨太でも構いませんよ(笑)

秋田に新作が載るのはすっごく久しぶりなのでは? 最近は王都や無頼の再録だったから。ご本人のサイトによると岩崎先生は今春熊本で被災された由なので、二重の意味で応援したいです。

2015/11/17

「花とゆめ」2015年12号 スキップ・ビート!感想

著者:仲村佳樹


幼い頃、母親の仕事部屋に入ったキョーコは、触らないでと払いのけられる。あんたに触るとケチがつく。私は二度と失敗できないのよ。出ていってと。仕事部屋の母は泣いていたらしく、泣き顔のままで。

出ていって、ここには絶対はいらないでと行ったでしょう!と怒鳴られて、幼いキョーコは泣き出す。嫌われていたのは知っていたし、憎まれている可能性も受け入れただけど、存在そのものを否定されるなんて覚悟はできていなかった。心の激流のまま、泣きながら蓮にコーンと呼びかけて抱きつく。

私の何がいけないの? どこがキライなの? キョーコの心にずっと心に沸き上がっては押し込めてきた禁忌の質問。母の答えが怖くて。でももうやめたい。期待するのも絶望するのも。なんだか疲れた。

そう思いながら泣きむせぶキョーコに、蓮はどういう行動をとっていいのか決めかねていた。抱きしめようとするが抱きしめられない。今更ながら、テンに髪を蓮の色に染めてもらったことを困ったと思う。しかし、泣き叫ぶキョーコをしっかりと抱き止める。

セバスチャンさんは、ローリィに連絡中。蓮をキョーコの家の近くまで送ってきたらしい。憔悴したキョーコが出てくるのが見えて、蓮が後を追ったようだ。セバスチャンさんは追いかけずに車で待機。ローリィはキョーコが番組を見たらしいことを知って、良くない状況だと言う。その割にはニヤニヤしているように見えるローリィに、社さん、若い二人のラブの行方を想像して楽しんでるなんて、ただのラブモンじゃありません、ゲスラブモンです!と言う。(ラブモン=ラブが主食のモンスターで社員が勝手に呼んでいるローリィの通り名らしい) ローリィは自分が行方を想像しているのはキョーコの成長だという。役者として、もう一皮むけるかどうか。今回の状況をあの娘がただの傷にするのか、宝にするのか。

幼い頃、泣いているキョーコの頭をなでて、どうしたの?と問いかけるクオン。そのときと同じように黙って頭をなでる蓮。なでられながら、いつものコーンだったら、泣いている私が落ち着くと、必ず理由を訊いてくれたけれど、今はうまくはなせる自信がない。でも黙ってこうしてくrているほうが落ち着けると感じる。グアムでまた逢おうと言ってくれたコーンが、呼んだら本当に来てくれた。落ち着いてきて目をあけたキョーコの目に映ったのは蓮の顔だった。顔をしっかり確かめて蓮だと気づいてキョーコは叫ぶ。

一人にしてと言われた尚は、気になって帰るに帰れず、キョーコを探している様子。


泣いている母親の顔は弱い面が洩れているのかも。焦りはあっても敵意はないようにみえるなあ。
蓮は今回困り顔だあね。それを払拭するクオンのキューティースマイル。
ゲスラブモン、よくぞ言いました(笑)

次回は14号に掲載。
「スキップ・ビート!」感想のバックナンバーはこちらから。

2015/11/12

「花とゆめ」2015年10号 スキップ・ビート!感想

著者:仲村佳樹


尚はキョーコに見たんだな、と言う。店から飛び出していったキョーコを追ってきたおかみさんは、尚と目があって、幼なじみの尚に任せたほうがいいと店に戻る。キョーコは知らないと否定するが、尚は、ウソつけ今のおまえは目が死んでると言う。

どこへ行こうとしていたのかと聞いても、キョーコは何も答えない。無反応のキョーコの顔を強引に上げると、感情まで死んだうつろな表情だった。尚はキョーコにキスをする。いつものおまえならケリの一つもいれんだろうが、俺の前で泣くのが嫌ならキレてみせろと。しかしキョーコは表情を変えずメンドくさいと返し、一人にしてと言う。

お店に戻ったおかみさんは、ひょっとしたら有名人だから(騒ぎにならないよう)上がってもらったようが良かったのかもと思いつくが、外にでると二人はもう居なかった。

キョーコは一人でベンチに座っていた。手にコーンの石を握って。どこに行こうとしてたんだろう、東京にコーンの森はないのに。もう何も感じないと思っていた。今更絶望も期待も。なのに、パスポートの許可をもらって、事務所のページに自分が載ってうれしかった。でも、パスポートの許可は、あの人なら無視ができなくなるような手段を選んだから。ホームページの許可は、私の未来を尊重してくれてた訳じゃなくて、あの人の中で私の存在ごと無かったことにしてたからだ。

涙が浮かんでくるのをぐっとこらえるキョーコ。コーンとグアムで再会する前じゃなくてよかった。思い出すのは幼い頃コーンがいなくなった時。雨の中をコーンを求めて泣き叫んでいた自分。

そのとき現れた人影。キョーコは徐々に人だと認識していく。蓮を見て、人としての感情を持った目を取り戻し、涙を浮かべ、ウソ…とつぶやく。


尚何してくれてんねん!と思うのだけど、無反応なのが…哀れ…。
蓮が来てくれてよかった…。

次回は12号に掲載。
「スキップ・ビート!」感想のバックナンバーはこちらから。

「花とゆめ」2015年8号 スキップ・ビート!感想

著者:仲村佳樹


マネージャーの祥子さんの車で移動中の尚は、渋滞に巻き込まれ、退屈しのぎにテレビをザッピング。その中に最上弁護士の姿を見る。冴菜さん、この人テレビなんか出て何しているんだ?

閉店後のだるまやで片づけを手伝ったあと、おあみさんとビデオを見る。キョーコの名前で録画できるようにセットしているのだが、たまに、同名の別人の番組が撮れることがある。「キロノット」もキョーコの芸名京子と名前が同じ女優さんの出演番組だったので、削除行きにしようとしたところ、最上弁護士が映り、キョーコは思わず声をあげる。

蓮はローリィとお酒を飲みながら報告会。ローリィは村雨泰来を気に入ったらしい。蓮は会話の路線変更して、キョーコの母親がキョーコの芸能活動を許した件について尋ねる。内容は内容だけにそうペラペラ話せないとローリィは渋るが、「何をさせても構わない。親子だと世間に知られないようにしてくるなら」とでも言われましたか?と蓮に聞かれ、蓮がキョーコの家庭の事情を知っていることに驚く。

ローリィはキョーコが蓮の心の傷の一端を知ってる風なのを思い出して、お互い話をしているのか?と疑問仁尾網。(実際は互いが互いの事情を知ってることをしらないんだけどね(^^;; 一方はコーンに話してて、一方は坊に話してるから) 社さんは聞いちゃっていいのかなと隣でそわそわしながら聞いてる。

行為的に受け止めれば、母の厳しさもキョーコを思いやってのことで、テレビでの発言も、最上さんの将来や立場を気遣ってのこと…、そう蓮が言いかけるが、ローリィは少し悲しそうな表情を浮かべる。

仕事が終わった尚は、キョーコが最上弁護士の番組を見てねーだろうなと気になって、スマホに手をかける。

蓮もスマホを手に持って、ローリィの言葉を思い返していた。全部LMEの自由にしていいから、もういちいち許可をとりに来るなと言われたらしい。そして子供の頃のキョーコの、お母さん頭の悪い子キライだから、がんばって、いつか笑顔でいい子ねってお母さんにほめてもらうんだと言っていた笑顔を思い出す。声を聞いたらあの番組を見たのかどうかわかるだろうか。しかし、一度電話越しの演技でごまかされたことがある。会うなら、グアムでの食事の証拠動画という切り札があるから、一時帰国中に会う機会を作って…と逡巡する。しかし子供のキョーコの泣き顔を思い出して…。

キョーコは結局そのまま録画を見て、最上弁護士の言葉を聞いてしまった。番組を消そうとするおかみさんに、母なんです、と告げてそまま一緒に見ていたからだ。おかみさんが振り返ると、キョーコは真っ青な顔をして、部屋へ戻りますと告げて出ていった。

部屋に戻ったキョーコはコーンの石が入ったがま口を持って外へ。そこには尚が立っていた。キョーコの顔を見た尚は、最上弁護士の番組をキョーコが見たことを知る。


セバスチャンさん(ローリィの運転手兼付き人兼諸々)バーテンやってる。多才ね(^^;; ローリィはキョーコの母に会うときも、ローリィ仕様(変装)なのね。

次回は10号に掲載。
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「花とゆめ」2015年6号 スキップ・ビート!感想

著者:仲村佳樹


母は私の存在を疎ましいと思ってる、そうモー子さんに告げるキョーコ。自分にとっては慣れたことで、モー子山河思ってるほど傷ついてないのだと言うけれど、モー子さんはごめんと謝る。キョーコはいいよ、と返す。

夜、寝床の中で、人様のあたたかい家庭を見て羨ましいと思ったことなんて…無かったとは言わないけれど、自分は不幸だと哀れんだことはない。これまでだってひとりぼっちで生きてきた訳ではないし、今だって大好きだと思える人がたくさん居る。そう思いながら伸ばした手の先に見えたもの。消えかけた手のひらのスタンプを見て笑顔になる。

翌朝、元気いっぱいに朝食の用意をしておかみさんにあいさつ。一緒にご飯を食べながら、おかみさんに、ご機嫌さんだね、何か良いことでもあるのかい?と訊かれる。一瞬ん固まって、ちょっとだけ、と答える。今日は蓮が一時帰国する日。己の胸の内に秘めておくと誓ったのに、他人からつっこまれるほどウキウキをたれながすなんて失態をさらしてしまった。一時帰国といっても直接会えるわけではないのに、と思っても、はやり手のひらのスタンプをみると笑顔になる。

そのころ蓮とテンさんは飛行機の中。機内なので、テンさんのスマートフォンに直接文字を打ち込んで会話中。パスポートの都合上クオンの姿になっている蓮に、テンさんは日本の滞在時間は短いけど、蓮の髪の色に染めるのか?と訊く。念のためお願いしますという蓮の答えに、髪と頭皮のダメージを心配するテン。さらに蓮は、禿たら潔く丸坊主にしましょう、などと気楽に返す。 本気で明暗と思ってる蓮のチャーミースマイルに、テンさんは絶対丸坊主になんかさせないと決意する。

BOX"R"の共演者と雑談中のキョーコは、まだタレント名鑑に載ってないことに驚かれる。ダークムーンにも出ていたのに。来年からは載せてもらえるらしい。正式な所属タレントにするには、親の承諾が必要だったからだ。パスポートを取るためにあの人(母)と連絡を取ったことをローリィにはなすと、事務所のホームページに正式に所属タレントとして載せるから、あの人と直接話していいか訊かれたらしい。母とローリィのやりとりはわからないが、ホームページに載せてもらえているから、OKが出たのだろう。昨日会った時も安定のスルーだったし。

芸能活動? 何をしようと勝手だけど、間違っても私と関わりがあるなんて世間にしられないようにしてちょうだいね。会ったときに見た眉間のシワがそう語っているように見えた。同じようなことをローリィ社長にも言ったのだろう。それでも、迷惑だから認めないとは言わなかったんだ。その部分にキョーコは(たぶん悪くはない感情)を持つ。

蓮はCM撮影を終えて社さんと事務所へ。インタビューの仕事が終わったら、ローリィ社長とお酒、その実グアムでの戦況報告となるだろうという歓談。事務所(LME)に着くと、社長はテレビに釘付け。テレビに映るのは最上弁護士。蓮も最上という名字に気がついた。子供の真剣を父親に取られた母親の相談で、激高した相談者にあなたはおなか痛めて子供を産んだことがないんでしょう!となじられ、私に子供は居ませんと冷静に返す。それを見たローリィの険しい顔を見て、やはりキョーコの母ではないかと尋ねようとする社さん。ローリィはキョーコが見てなければいいのだが、とつぶやき、最悪だ、とこぼす。


これ、キョーコも見てるパターンだよね…。

髪と頭皮の健康は失ったら取り戻せないのよ!!!(>_<) 無邪気な蓮に本当に腹が立つ(笑)

次回は8号に掲載。
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2015/11/10

雑誌「月刊ヒーローズ」2015年3月号 「怪盗ルパン伝 アバンチュリエ」第23回

森田崇氏による漫画。モーリス・ルブラン原作。
Chapitre23「奇巌城 episode6 歴史に隠された秘密―その3―」
エコー・ド・フランス出張版「奇巌城編」ダイジェスト付き

「グラン・ジュルナル」新聞に掲載されたマシバン博士の公開状で、「空洞の針(エギーユ・クルーズ)」に関するボートルレの推理が覆されてゆく。


エギーユに関わる歴史が次々に暴露されていきます。ま、このあたりはほほーと受け取るか、大風呂敷大風呂敷、と気軽に構えてください(^^;; 私は探しましたけど、たぶん力量不足なだけです(笑)

鉄仮面もホントは布らしいですけど、いいじゃないですか、絵になるし(^^)

エギーユ・クルーズはフランス王家の財宝に関わる秘密であること、そしてマシバン博士の言うとおり、ルパンはエギーユ・クルーズの謎をすでに解いているということが明らかになりました。

ボートルレ、泣いてる……(;_;) 最後の涙とならんことを。


4月号に続くとなっていますが、次回は5月号です。
森田崇「アバンチュリエ」情報

«雑誌「月刊ヒーローズ」2015年2月号 「怪盗ルパン伝 アバンチュリエ」第22回

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